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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)403号 判決 1961年11月30日

判  決

東京都品川区戸越四丁目二九番地

原告

藤倉種吉

右訴訟代理人弁護士

高梨克彦

東京都品川区東戸越四丁目二九番地

被告

佐藤直儀

佐藤静枝

右訴訟代理人弁護士

竹上半三郎

梅沢秀次

主文

被告らは、東京都品川区東戸越町四丁目二九番地の四宅地二八坪一合六勺の中の中、別紙図面表示の(イ)点(同所二九番地の一宅地の南東隅)より公道に沿つて北方九、八間の地点(イ)より公道に対して直角に向う線(原・被告所有土地の境界線)から南方に向い五〇糎以内の場所に、工作物を設置してはならない。被告らは右土地上に建築中の建物部分を収去せよ。訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決と仮執行の宣言とを求め、請求原因として次のとおり述べた。

一、被告佐藤静枝は、主文記載土地の所有者であり、原告、右土地の隣地である同所二九番地の五、二五坪八勺の土地の所有者であつて、両者は互に相隣関係にある。

二、被告らは、共同して、右被告佐藤静枝所有地上に、同直儀名義で家屋を建築中であるが、右家屋は、原告所有土地との境界線(主文掲記のイ′より公道に対し直角に西方に向う線)から五〇糎の距離をおかず境界線に接着して建築しはじめ、未だ竣工に到らぬものである。

三、よつて、被告らの家屋建築は、民法第二三四条第一項に違反するものであるから、原告は、同条第二項により右境界線より五〇糎の区域における建築の中止および工作物の収去を求める。

被告の主張に対し、

従前原・被告の家屋が二戸建一棟の長屋であり、被告らが、その居住部分を収去して、その跡に本件家屋の建築にとりかかつたこと、および原告所有家屋が前示境界線上に建つていることは認めるも、その余の事実は否認する。なお、被告らの示す慣習に関する東京地方裁判所の判例は、旧市内である京橋区新富町の土地に対するもので、都心を外れ、同所より遠隔にして住宇街である本件土地には適用しうべからざるものであり、本件係争地付近にはかかる慣習は存しない。と述べ、

証拠(省略)被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、答弁として、

原告主張の請求原因事実は認める。

と述べ、次のとおり主張した。

一、被告佐藤直儀は、昭和三四年一一月初旬頃本件家屋を建築するにあたつて、原告から、その所有土地との境界線より五〇糎の距離をあけず建物を建てることに同意を得た。

二、もし右同意のあつたことが認められないとしても、本件土地付近一帯は、住宅が密集している市街地であるため、隣地との間にほとんど空地を残さずに家を建てることが許容される慣習が存在しており、このことは判例もすでに認めているところである。

三、仮りに以上の主張がすべて認められないとしても、原告の本訴請求は、権利の濫用であるから許されない。すなわち、従前二戸建一棟の長屋であつた原・被告所有家屋を、被告らが、その居住部分を取り毀し、その跡に、家屋を建築しはじめた関係上、原告の所有家屋は、被告佐藤静枝所有土地との境界線上に建つており、民法所定の距離をおいていないにもかかわらず、被告らに対してのみ、その距離をあけて建物を建築することを要求するのは、信義誠実の原則に反する権利の行使となる。又、原告所有家屋の前示境界線に面する部分には通風、採光等の設備がなく、被告らが右境界線から五〇糎の距離をおかないで建物を建てても、原告家屋の通風、採光等を害することにならないのに対して、被告らにおいて、もし、原告主張部分を取り毀わすとすれば、その費用その他莫大な損害を蒙ることになる。

他方、被告らは当初、本件境界線より民法所定の距離をおいてその建物を建てるつもりでおつたのを、訴外八橋尊夫、原告ら近隣の人々の要求にもとずいて、右境界線と反対側(訴外八橋尊夫所有土地側)の区域の間隔を広げるために、その建物を、当初の予定から、北側へ、すなわち、原告所有土地側へずらして建築したために、本件境界線から五〇糎の距離をあけない建築になつたものであるから、その責任はすべて原告らにあり、しかも、原告はこのことを充分知りながら、既に土台工事を終るまで少しも異議を述べず、建前直前に至つて突如建築禁止の仮処分を申請し、本訴提起に及んだもので、その実際の目的は、被告佐藤静枝所有土地の南側(原告所有地の反対側)隣地の所有者である訴外八橋尊夫等と組んで、同八橋尊夫所有土地側に面する被告佐藤静枝所有土地部分に通路を設置することを認めさせようと画策したことが不成功に終つたことに対する報復として、被告らの建築を妨害して苦しめんとするにあるから、原告の本訴請求は、明らかに権利の濫用となるものである。

証拠(省略)

理由

原告主張の請求原因事実はすべて被告らにおいて争いがないし原、被告の各家屋の外壁の間隔が僅かに一〇数糎にすぎないことも、被告佐藤直儀の陳述により現場の写真であることを認め得る乙第三号証の二ないし四によつて推測し得るから、まず被告らが右境界線から五〇糎の間隔をおかずに建物を建築することに原告が同意していたかどうかの点について判断する。右同意のあつたこととの直接の証拠は、被告本人佐藤直儀尋問の結果以外にはこれを認むるに足るものがなく、しかも、この被告本人尋問の結果は、証人(省略)の証言に比照して、直ちに採用し難い。もつとも、(証拠)によれば、被告等は当初本件境界線より約五〇センチメートルの間隔をおいて本件建築に及ばんとしたところ、近隣者数名が品川区役所荏原出張所等へ陳情したがために、被告佐藤静枝所有土地の南側区域を多くあけ、原告との境界線側を予定より狭くするように設計を変更した結果、本件境界線より五〇糎の距離をおきえなくなつたこと、また、昭和三四年一一月に被告らの本件建築に関して近隣者の寄合いがあつたこと、本件建物を建てるにあたり被告が、原告方に挨拶に行つたが、この際原告よりこの建築について異議の申出を受けなかつた事実を認めることができる。しかしながら、右品川区荏原出張所への陳情につき原告もこれに加わつたとの確証はなく、かえつて証人(省略)の証言によれば、原告方の者は右陳情に来なかつたことを認めることができるし、本件建築に関する近隣者の会合にも、原告方の者が出席したという事実を認めるに足る証拠がない。さらに、異議を述べなかつた点も、証人(証拠)の証言によれば、被告方の建築の挨拶は単なる儀礼的なものであつたため、原告方においても儀礼として応待したに過ぎなかつたことが肯かれる。したがつて被告等主張事実のいずれによつても、民法所定の間隔をおかぬ被告等の建築に対して、原告が同意をなしたと認めることはできない。

原、被告建物がもと同一棟であつたことは、当事者間に争いがないが、このことから原告の右承諾を推認することも、後記の理由からして困難である。

次いで、被告主張の慣習の存否について案ずるに、(証拠)によれば、本件係争地付近に、境界線から五〇糎の距離をおかず建物の建てられている事例のあることが認められるが、これについては、その当事者間に合意があつたるやも知れず、当然の権利としてその密接建築がなされたと認めるに足る確証はない。

(省略)乙第五号証によれば、本件土地付近には民法第二三四条の規定と異なる慣習ある旨の記載があるが、同号証の他の部分によれば、防火地域、準防火地域などの都心部にあつては、相隣者に対し重大な影響を与えるおそれのある場合以外は、建築許可が与えられた以上、それを合法なものとして、民法二三四条の規定を排斥すべきだといつた趣旨が伺われる。なるほど、近時のように土地の価格が甚しく高騰してくると、敷地をできるだけ有効に使用すべく敷地いつぱいに建築することを希望する建築主の意嚮や、現にこれを実行している例の必ずしも少なくないことは、否定しえないところである。しかし民法二三四条の法意は、相接近せる両家屋の通風、採光の点のみならず、その外壁の修繕の便宜をも考慮したものと解すべきであり、この修繕の点は、家屋保存といういわば公益の問題にも関連するものだから、同条の規定の趣旨を簡単に排除することは許さるべきでなく、まして、建築許可という行政法上の許可があつたからといつて、これに基ずく建築が、あらゆる面で適法なものとされるべきでないことはいうまでもない。以上の理由からして、右乙第五号証の鑑定意見はたやすく採用しがたい。

被告らは東京都内におけるかような慣習の存在は、既に判例の認めるところと主張するが、それは旧市内の京橋区新富町といつたような都心的発展を遂げたいわゆる繁華街を対象とするものであり、この判例をもつて、直ちに本件のような旧市内から可成距たり、その地価も、右のような繁華街に比し、可成低い(この点は公知の事実である。)街にあてはめることはいささか早計であるといわなければならない。

近時、民法二三四条に反する建築が多く行われ、隣家所有者から、これに対する異議の申立がそれ程多くないからといつて、これをもつて、直ちにかかる慣習が存在すると判断することは、少なからず危険がある。けだし、それらは、既設の隣家所有者において、将来の相隣関係の円満を考慮するのあまり、新家屋建築者の横暴に対しても、止むなく異議を述べないといつた事例が、決して稀有のこととはいえないからであり、右のような場合に、民法第二三六条にいう慣習を認めれば、これに基く建築は、許容された権利の行使となり、相手方に損害賠償の請求すら封ずる結果になりはせぬかとの懸念もあるからである。

仮りに右慣習があるとしても、それが法的効力を有するや否やは、なお十分な検討を要する。この慣習は、前記のように、地価の高騰により、限られた敷地をできるだけ有効に使用させんとの配慮からでたことは前記の通りであるが、これにより、隣家なる既設建物の所有者側の利益を侵害し、これが受忍を強いる結果となるばかりでなく、新建築者自らも将来、隣接外壁の修理が困難となるなど、当事者双方の家屋保存に重大な影響を与えるので、この慣習に、社会規範としての効果を認めるのは、相当に慎重でなければならない。

結局、公益を害しない限度において、しかも、相手方の蒙る不利益よりも、この慣習を認めることによる利益のほうが大なるとき、換言すれば、右の社会および相手方の受ける不利益を充分考慮しても、なおその法的効果を認めるべき理由ある場合に限つて民法第二二四条と異なる慣習に法的効果を与えるというのが、民法第二三六条の法意と解すべきである。

先に認定したところによれば、相隣接する本件家屋は、一〇数糎の間隔しかなく、両家屋の外壁の修繕等の家屋保存に著しい障碍を興えることは明らかであり、他にこれを排斥してまで許容すべき資料の提出されていない本件においては直ちに慣習の法的効力を肯認することはできない。

よつて、慣習に関する被告等の抗争は採用しない。最後に、原告の請求は、権利の濫用であるとの被告らの主張について審理する。

まず、原告の建物が境界線上にあるのに、被告らの建築に対してのみ法定の間隔を要求する原告の主張は信義則に反するとの点について。原告所有の家屋が原、被告所有土地の境界線上に建つていること、もと原、被告の家屋が二戸建一棟の長屋であつて、その被告ら居住部分を被告らが取り毀したものであることは、当事者間に争いがなく、これによれば、原告の家屋は、被告らとの同一棟であつたものを、被告らがその一部である被告ら所有部分をけずりとつたがために、あたかも、民法第二三四条に違反して家屋が建てられたと同様の外観を呈するにいたつたものであつて原告が、右規定に違反してその建物を建築したものでないことは明白である。かかる事情の下における原告の、被告らに対する主張は、別に信義則に反するものでもなく、権利の濫用ともいえない。これを実質的に考察しても、一棟の下にある数個の建物には、各戸につき隣接部分の外壁の修理なるものはあり得ないが各戸の棟を異にするに至ればその必要を生ずることを思えば、この場合、一棟から切り離そうとする者は、隣接家屋が境界線いつぱいに建てられていないという結果から自己も民法第二三四条所定の距離をおくべき必要ないとすることの理由のないことは明らかであろう。また、(証拠)によれば原告家屋の本件境界線に面する部分には、現在窓等の採光、通風設備のないこと、および、(証拠)によると、本件境界線より五〇糎以内に存する被告らの建物部分を収去するためには、多額の費用がかかることが認められる。

しかし、前者にらいては右の事実だけで、原告は、その権利行使によつて何の利益も受けないとはいえず、むしろ、証人(省略)の証言によれば、家屋の修理および将来の家屋の建て替えにとつて障碍になることが認められるから、逆に、原告は、本訴請求によつて大きな利益をうけるものであるといえる。

後者にしても、(証拠)によると、この部分に関する工事禁止の仮処分を受けた後に、本件家屋につき仮処分の対象以外の部分の建築を続行したことがうかがわれ、そのため、係争部分の収去をするのに多額の費用の追加を要することになつた事実が推認され、また、この追加費用を除けば、本来の収去による損害は、通常予想される損害を多く出ないことも肯定される。工事差止めの仮処分以後においても、該当部分以外にいつて工事をすることは、被告らの自由ではあるが、工事遂行当時、本訴の結果如何によつては、仮処分部分を収去せねばならぬ事態の招来することは、すでに予期し得たことであるから、工事追行によつて生ずる収去費用の増嵩は、自ら招ねいたものとして当然被告が負うべきであつて、これを相手方たる原告に転嫁するは許されない。

また、これ以外に、本件相隣権の侵害による原告の損害に比して、被告らの除去の費用が著しく莫大で、相対する利益(損害)の均衡を著しくするものであるとの事実を認むべき資料もない。

右によれば、原告の本訴請求が、社会通念上、民法第二三四条の定める目的に違背し、その機能として許さるべき範囲を逸脱するものとは認められないから、権利の濫用と主張する被告らの抗争は採用することができない。

よつて、原告に対する本訴請求は、正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判示する。

なお仮執行は本件においてその必要はないものと認めこれが宣言をしない。

東京地方裁判所民事第一六部

裁判官 柳川真佐夫

(別紙図面省略)

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